About

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設立の目的:

生活の基盤である地球環境への意識的な視線を持てる人、個人の自立と相互の協力関係を促すことができる人になる・つながる・育てる。

Mind of the Earthでは、具体的な活動目的は固定していません。それは基本的に各メンバーが定めるもので、職業や思想の違う各々がその活動において軸とするものです。その代わりに、メンバーとして、外してはいけない点という物は存在します。

外してはいけない点(目標):

・水・土・光など自然環境に配慮し、それらをより良い状態で次世代に渡すこと
・人間同士の合う合わないを暴力的・排他的・他責的表現でなきものにしないこと
・個人個人が自立し、より楽に生きることができる生活環境を目指すこと
・メンバー同士でのヘルプに参加すること

例えば、このネットワークを利用して儲けるぞ!という目的で参加しても問題なく、そういう経済的な勘のある方が上記目標を達成しながら成功したらそれは素敵なモデルになります。そうして参加者が増え、拠点が広がり、ネットワークが強固になれば一つの社会モデルにもなり得ますが、そこに上下の差や固定された役割は存在しません。その有機性がMind of the Earthが目指す理想的な在り方であり、それ故に私たちは組織を名乗る必要がないのです。Mind of the Earthは一つの姿勢であり、共通の態度と捉えることもできるかもしれません。

意識的な連帯でつながったネットワークが世界に広がれば、21世紀に相応しい【少数民族の楽園】が動き出す

日常生活や将来に、不安や問題を抱えていない人はどれくらいいるのでしょうか。
様々な支援活動がそれぞれのやり方で、フォローをしようとしています。制度や法による手当、草の根の支援活動、それでもそこから取りこぼされる人々、無視される生き物がいるのはなぜでしょうか。

History

Mind of the Earth創設者の前身は、植林活動をするNPO副理事でした。
しかし、その組織形態での活動、現状の社会構造や制度の中で行う活動に限界を見ます。また、2011年3月11日に彼の故郷付近で起こった、マグニチュード9の大震災、津波や原発事故は彼の心に衝撃を与え、Mind of the Earthを構築していく上で欠かせぬ要素を与えました。

「少数民族の楽園」とはなにか

環境とのせめぎ合い、孤立や移動の結果こそここで発展した地球上の各民族、 各生物。
それぞれが在り方を探り、周辺環境に馴染むように進化し、文化やコミュニケーション手段を創作する、有機的な時間。そして、その重なりの中で発生する互いの影響の「循環」を見出す能力。人間でも、他の生物でも、社会でも、会社でも、我々はそれを保持するものを”少数民族”的存在と捉えます。
”少数民族的在り方”を無視し、痛めつけ、何か一つの基準に準じさせること。人間で言えば、戦争はその代表的な方法でしょう。しかし、日常レベルでもそれは起こっています。

例えば、彼はNPOの活動の中で、日本式農業をフィリピンに持ち込みました。土も風も違う場所に、理論と方法を持って行ったのです。
それは失敗の連続でした。禿山に植えた苗木はスコールのたびに流されなくなりました。
豊富な日光と確実な水やりができる、恵まれた土地での野菜の生産も、同じくらい恩恵にありつく虫に度々全滅させられました。
フィリピンのワーカーたちは時折空を見て、土に触れて、虫の到来や成長の可不可を的確に当ててみせました。しかし、日本式農業を推し進める中では彼らの助言は無視され、支援する者とされる者と言う立場の差だけを浮き彫りにしていきます。
そんな中で、副理事を務めていた彼は、彼らの”勘”に興味を覚え、どうして彼らは予兆を発見することができるのかを考えました。たどり着いた結論は「循環を見守る力」を重要性を認めること。それはまさに、その土地に根付いた”少数民族”的在り方によるものだと気付いたのです。
「日本式農業」は日本の在り方であり、フィリピンのものとは違う。違って当たり前であり、”支援”は本来その土地で生きる術の会得のためにあるべきだ。
そして、彼らの方法に従った生産に切り替えるため、組織との激論が始まります。”組織”はそれ自体が一つの在り方であり、立場です。問題は、何を尊重するかと言う差異を埋めることでした。

人間でも他の生物でも、それぞれの小さなコミュニティーが”それそのもの”として共存すること。その難しい課題に取り組むための、仕組みを見出し続けること。我々はそのために「循環を見守る力を持つ者=エンバイロメンタリスト」を育み、つなぐ活動をします。