非政府組織マインドオブデァースは、意識的な連帯でつながったネットワークです。
主要目的は「エンバイロメンタリスト」涵養支援と、「エンバイロメンタリスト」が実地でおこなう地域特性に応じた仕組みづくりの支援です。
意識的な連帯でつながったネットワークが世界に広がれば、21世紀に相応しい【少数民族の楽園】が動き出します。
世の中の仕組みの標準が、生き物レベルなら、世の中を暗くする制度型管理社会は誰も見向きもしなくなります。
人間は居心地の良い方に移行します。
公共が進化し、暮らしが豊かになる方へ移行します。
「生きている仕組み」マインドオブディアースの志願活動
「循環を見守る」能力は職業ではありません。マインドオブディアースの志願活動の目的のひとつは循環をつくることです。
循環サイクルが傷ついていれば、一帯の環境も経済も停滞します。循環サイクルが停止すれば、そこに人間は住めません。余地があるのに、どうしても循環サイクルが機能しないこともあります。
優れた「エンバイロメンタリスト」が居れば、問題点を見つけ、解消し、再び循環サイクルをよみがえらせることが可能です。
重要なのは、誰もが「エンバイロメンタリスト」になることです。
このような作業は、制度運用では不可能です。管理型でも不可能です。活動現場の現状が循環型でなければマインドオブデァース・メンバーが関わる意味はありません。
「生きている仕組み」は、関係する全ての人々を循環型に変えます。言い換えれば、循環サイクルのメリットを誰もが共有すれば「生きている仕組み」に変わります。「生きている仕組み」がほんの少しでも動き出せば、地域のルール、制度運用型、完全管理型を放棄しても、何ら問題が生じません。
むしろ、今までの慣習に囚われた、管理型を持ちだした途端、混乱することが誰の目にも明らかになります。順調に回り始めたグループと、管理型に戻したいグループの衝突。誰かがマネジメントを主導するのはこれまでの仕組み。しかし、公平にシェアする『生き物のような仕組み』なら極めてスムーズに事が運びます。
マインドオブデァースの第一拠点、バナハウは優れた「エンバイロメンタリスト」育成のサイトです。
ガチガチの管理型思考の持ち主がまるで『いきもののような仕組み』に触れると、それ自体がルールであり、秩序であることを悟ります。
自然循環を見守る目は、人間同士のつくる経済循環でも全く同じ働きをします。
努力した者はより多くの利益を得る。
優れた産品をつくれる者は、優先的に利益を得れば良いのです。その底流にはシェアとコラボの水際があります。
誰しも踏み込めない一線があります。
誰が考えても、極端な格差がコミュニティー全体のマイナスを引き出すことくらい分ります。その場合、それは最初から余地として温存した方がプラスに働くのです。この相互関係の元に支え合う仕組みが「志願活動者」を支える公共と言う報酬です。
誰のモノでもあり、誰のモノでもない。あらゆる地域で人類は例外無く「生き物である仕組み」にシフトチェンジします。地球の巡りはいつも、最高度に洗練された循環サイクルを提供しているのです。それに気づかず、制度運用や管理を職業にする人間が蔓延る限り、公共は阻害されます。我々は循環サイクルを利用し、豊かさを再生産しながら共に暮らしています。
律するのは自然法(循環サイクル)
マインドオブデァースの志願活動家は「エンバイロメンタリスト」です。リーダーではありません。「エンバイロメンタリスト」が標準です。自称「エンバイロメンタリスト」で何の問題もありません。自称「エンバイロメンタリスト」は、志願活動家の意志(意識)の表明です。人間は意志を表明すると勝手にその方向へ進化する生き物です。志願活動家「エンバイロメンタリスト」は、循環理解への(意志を表明した)人です。
自然と人間社会を分け隔てる前提でしかモノを考えない人はこの先、役に立ちません。
すくなくとも循環理解への(意志を表明した)人は、このレベルはクリアしています。各人の到達レベルは千差万別、得意分野も視座もバラバラです。それで何も問題はありません。循環サイクルは、誰であろうと到達レベルを誤摩化すことは出来ない仕組みになっています。循環サイクルは、あらゆるスケール(地上世界の行動限界)を示しています。我々は例外無く、循環スケールの内側でしか生きられません。
支え合わない仕組みの中で、もがき苦しむのは、依存しておきながら、自然循環のスケールを無視しているからである。相容れない矛盾を抱え込み、支え合うフリをしているだけ。各人に支える力などないことは暗黙の了解・・・。
誰もが立派な共犯者。これでは、シェアなど不可能です。「エンバイロメンタリスト」は、循環サイクルの共感者です。
普通の人の『目』で普通に回る仕組みをつくる。
これが自然界の秩序です。
生き物である仕組みを文言で縛れば無限の解釈に苛まれます。
生物を器具で縛れば虐待。
仕組みは、三次元の縛りとは無縁です。
では無形、固定できない生き物をどうやって管理するか?
ひとりひとりが循環する流れを見守る能力を行使するしかありません。
「エンバイロメンタリスト」が普通にならなければ、持続的循環サイクルは持続できません。
それは職業ではありません。
固定(職業)にすれば仕組みは巡りません。
マインドオブデァースは、内なる個人の宇宙を尊重します。
人間の法(地上の掟)ではなく、自然の巡りに乗って・・・。
もちろん、突出したリーダーの力量で主導するのでは意味がありません。
普通のひとりひとりの総意がつくる循環サイクル。
それが普通になれば、そこは地上にありながら【少数民族の楽園】から一つ昇格した場所になります。