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正義’

正義が平和に繋がるかといったら、そうでもない。
正義という言葉はバランスが悪く、一方に偏りがち。

人にはそれぞれの正義があって、一概には言えないし設定できるものでもない。
一人一人が自分の人生の中で育てる生き物のような存在かもしれない。
それは死ぬ時まで終わりは来ない。

そう思えれば、悪という概念に対する正義という概念は個人のものであって、共有することは危ういことかもしれない。
悪と正義は表裏一体、一方が無ければもう一方も無い。
では、最初にあるのはどちらか。

少しずらして考えると、おそらく自然界には悪と正義は無い。
たとえあったとしても、悪を裁く掟はない。
あえて言えば、自然が淘汰する。
自然界に無駄なものは無く、人が感じれない領域も含めて全てが循環する。
そういった概念によって、人間は自然循環からはみ出したのかもしれない。

そういった概念、欲情、理性、正義と悪、戦争と平和、国家、法と裁き、経済、仮想など、次々に生まれる自然に反する概念が人を人にしてきた。
悩み考える生き物になった。
自分がどう生きるかも、周りとどう生きるかも自分次第。
他の生き物にはない自由を持っている。
今も私は、仮想空間であるホームページのブログに、『砂マフィア』をきっかけに悩み考えながら正義と悪、法から利権など欲情のままに書いている。(すいません)
私は自然が最も価値あるものと思っているが、人間のこんなところは好きで、これがなければ存在すら『無』になるように思う。

自然の循環には二度と戻れない。
しかし、依存しなければ生きられない。
人は人の、自然循環と和める循環を創らなければ『無』でもない形でいなくなるだろう。
自然の環と人の環、それが調和することで目前の危機は去り、未来の可能性は『無限』となる。

『∞』と『 』どちらに近づくかは権力を持ったマフィアでも政治家でもない、ひとりひとりの人間に委ねられている。

正しいと思いした選択を、死ぬまで考え続けてください。
心から、これでいいのだと言えるならそれでいいのです。

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